いろいろと考えることがあります。あれを書こうか、これを書こうか、と思っているうちにどんどん疑問が膨らんで、あれもこれも知りたくなると考えるのは悪くはないとは思うけれど、とりとめがなくなってしまうのが良くない点なのだと思います。
音楽が好きだからといって語れるほど音楽を知らない。というよりも、どれだけ音楽を聴いていても音楽って言うものは語れるようにはならないんだって言う、そういう事なのだと思います。雑誌とかを読んでいない限り、そのおおらかな全体性を語るための語彙が無いんですね。
そういう意味では、ちゃんと自分の耳で聞いたとしても、誰かに(情報を伝える)という段階では弱みになってしまうかもしれない。ある歌がとてもいいという事を伝えるために、自分の文字を使うか、自分の声を使うか。自分の声を使うと、少しでも力が無いと明らかに見劣りしてしまうし、表現しきれない。そして一番気軽なのは、動画をはりつけるやつね。もうキーボード四つとマウスの操作だけでできてしまう!!便利!!
そういう意味では、手軽なメディアというものは、自分の及ばない力を拡張するためのメディアなのだという事は、とてもよくわかるのだけど、コピー&ペーストで終わってしまうのは不幸だよなって思うのです。
だって、音楽は音を楽しむものであって、言葉や動画を楽しむものではないと思うからね。だからこそ、言葉だけでしか語れない事も、自分で演奏しできるだけでも、それは少し悲しい事。当然、聞き手としての楽しみもあるけれど。そうじゃなきゃ何を伝えるかってのね。
「わかることは、かわること。」
それも大事にしたいと思いますが、
「かたるということは、わかっているということ。」
という事でもあると思います。
かたる ←→ わかる ←→ かわる
この三つが成り立って初めて、ある一つの事を自分のものにできる。そう言う風に考えてこれから行動し、語っていきたいと、かわっていきたい思うのでした。
そろそろ研究室のジャーナルもかかなあかん。
2009年10月12日月曜日
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