2010年3月31日水曜日

さて、今日でおしまい。

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今日で学生生活も最後の日。
家の掃除をしていた。
いろんな想い出に残るものもあれば
なんだこれっ!!って言うものもあれば
って感じ。

二つ。
本棚二つ分の本を惜しい入れに封印し
あともう少し(段ボール二つ分の本)
を閉まったらもう終わりです。
といっても段ボールがもう無いんですけどね。

mixiの日記もこっちへ統合しました。
他でやっていたブログも(内容がここより中2的)閉鎖し統合しました。
そんなこんなで更新は少しずつになるとは思いますが
文章を書く訓練、の用なものとして続けられればと思います。

2010年3月30日火曜日

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今読んでいる本。
途中まで読んでる本。
これから読みたい本を列挙。

「社会学的想像力」
「空間と人間」
「消費社会の神話と構造」
「東京オブジェ」
「The Great Good Place」
「風土の日本」
「パサージュ論」
「心とはなにか」
「社会分業論」
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uzanne Vega - Tom's Diner

この曲、歌詞最高。
日常の一ページを切り取って観察している様子をそのまま書いているだけのその詩が、とても切なく、儚く。日常の幸せと、寂しさが入り交じるこの世界をとてもセンシティブに表現していると思うよ。
こういう少しだけ卑屈な世界観に自分も住んでいるような。そんな気がするよ。

2010年3月29日月曜日

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さて、初海外の話はまだ続きます。僕自身は英語を結構さけて通ってきたのですが、海外に行って改めて思った。英語しゃべれなきゃダメだ。ポンピドゥーセンターを歩いていたとき、ひとりの中国人の女の子に話しかけられたのでした。最初は中国語だったけれど、「?」って顔をしたら。Are you Chinese?と聞かれたので。日本人だと答えました。英語凄いスピードで、慌ててしまい、ゴニョゴニョ←はずかしい。落ち着けば英語もちょっとは喋れるはずなのに(たいしたこと無い英語しかしゃべれないけれど)、経験がないせいか、本当に喋れないだけなのか、もうボロボロ。建築学校の先生の話はほぼ聞き取れたのに、緊張してしまうとダメですね。という訳で、ちゃんと英語は喋る機会をつくって勉強しなくちゃダメです。

これからちゃんと勉強を始めます。まずは完璧に相手の話を聞き取れるところから。(フランスで聞いた時は、訛があったので逆に聞き取りやすかったのです。)CNNのラジオで聞いてみたいと思います。

ちなみにその女の子とは、わかれてから6時間後、ルーブル美術館前の公園で再会することになるのでした。あのとき、聞いたSee you again.は一生忘れないね、たぶん。また、どこかでばったり会うようなそんな気がするよ。

不気味な共同体意識。

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私はあなたとおなじコミュニティーに属しているから、共同体だよね。これって、日本人が欧州的なサードプレイスを創出しようとするためにはもっとも抵抗力として働くものの一つだと思うんだよね。欧州的のね。
最近は、サードプレイスというと、職場と家庭以外の安らげるゆっくりと自分らしく過ごすことができる場所って言う風に書かれていることが多いみたいだけれど、アメリカの社会学者レイ・オールデンバーグによれば、むしろ外的なアイデンティティにとらわれずフラットなコミュニケーション関係をつくれる場所というように書かれているらしい(これから読む予定なので詳しくはそのあと。)。
まぁ、くつろげると言えばそうなのかもしれないけれど、日本人はコミュニティー依存度が高くて外的なアイデンティティーの中で自己を確立することが多い気がするから、そういった見知らぬ人とのコミュニケーション関係が本当にくつろぎにつながるかということ甚だ疑問。
二つの観点からサードプレイスという言葉を多くの人が使っているために、なんだか分からなくなってしまっているような気がしてならないんですよ。こういう言葉の使い方って危うい。誰か言葉を新しくつくって共通の認識としてとらえればいいのにね。なんて思ってしまいます。日本人用にね。まぁ”居場所”とか言ってよけいぼやかして分からなくなっちゃうのも微妙ですけどね。

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人間は、形式張らない社交の場に集い、仕事や家庭の問題を忘れ、くつろいだ雰囲気で話をしたいという欲求を持っている。ドイツのビアガーデン、イギリスのパブ、フランスのカフェは、日常生活の憩いの場だ。そこはニュートラル・グラウンド(中立地帯)であり、社会的地位はさておき皆が平等に扱われ、会話が主たる活動となる。アメリカでも、かつては居酒屋、床屋、美容院などがそういう場所だった。だが、郊外化の進展とともに、これらの場所は姿を消しはじめ、自己充足的な郊外型住宅に取って代わられた。こうした場所がないため、都市生活の本質であるさまざまな関係や人との多様な接触が欠落することになる。この欠落の故に、人々は群衆の中にあって孤独な状態にとどまっている。

−「スターバックス成功物語」で引用された、“The Great Good Place”−

コミュニティーと社会設計。

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フランスから帰ってきて
フランスの時のことを書こうとして
全然かけてませんでした。

日本の学生に建築のことを教えることは、パリの学生に建築を教えるのと全く背景が違っているので難しい。と、パリの建築学校の先生の話を聞きました。フランスと日本の大きな違いはコミュニティーの違い。日本人は小さなコミュニティーを大切にしているんだって。職場、サークル、そのほか諸々ね。日本人に「時間はあるか?」と聞くと、「仕事が無いからその日の用事はない。」と言うんだって。そういうコミュニティーと家族というコミュニティー。日本人では家族は二の次。フランスではそういうのはあり得ないんだって。家族を大切にしない方が非難される。だから早く帰りなさいと。それが普通なんだって。

まぁ、家族の話を他にしても、建築がコミュニティーからつくられているということ。これはとても興味深い話だった。日本には建築物に規制が少ないから、建築のことについて教えるのではなくて、コミュニティーについて考えなければ行けない。それが、今まで勉強してきたことや、活動してきたことから実感を伴って感じることができたので、ハッとしたのでした。家島の活動では、強固でオープンなコミュニティーが作り上げている、環境のパワーを感じました。
 環境問題。地域問題。経済的問題。家族の問題。その人たちがいったい何を大切にしていきているか。そういうことを考え方の中心において、そこからいろいろなことを設計していければ、心安らぐ環境が生まれてくる。そんな気がしています。それが日本の場合はコミュニティー。もちろん家族とは別の。
 ある一定数で強固な仲間意識をつくって、あるときには敵を作って、集団からはなれると少し気まずくなってしまう、そんな日本人のコミュニティーは本当はあまり好きではないんだけれど、それを考慮して設計しないと心地よい日本は生まれてこないんだろうな。なんて思ってます。

2010年3月23日火曜日

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こんな風景が好きでした。

どこも同じやね。

2010年3月14日日曜日

歌詞の続きを書きたくなるとき。

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そういうときってありますよね。
ああ、いい曲だ。この曲の続きを自分に会わせて書きたいな。
そんな時があります。本当に曲がいいからなんですね。

キリンジの曲が素敵です。
最近はこういうゆるあたたかい系の曲がとても心地よい。(Salyu,一十三十一など)

今日のよかったこと。

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1.オジさんになったこと。

2.高校のメンバーに会えたこと。

3.海外へ行ってしまう大学の友人を送り出す会に参加したこと。

あさって(実質明日)からフランスへ行ってきます。

2010年3月11日木曜日

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“And Then There Was Salsa” from Frito Lay Dips on Vimeo.



と、これだけでもクオリティは高いのに、実はそれだけではないところがこれの凄いところ。
http://vimeo.com/9194146
こういうものをつくれるのは本当に凄いなって思います。少し、日々のことを書き損ねていたので少しずつ書いていこうかなと思います。

2010年3月9日火曜日

2010年3月8日月曜日

タイトルバーのデザイン変更しました。

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しばらくこれでいきたいですが、コントラストは変更するかもしれません。


=====以下文章。

自分が生きている事とか、自分の生きている環境とかの意味を悶々粛々と考え続けたり、そのために何かをつくったりしているわけですが、きっとこのまま答えの出ないうちに、僕は死んでいくと思うのです。大切なのは、答えを求める事ではなくて、この結論を生み出さないはずの作業が、いかに喜びにあふれているかを感じられるかということだとおもうのです。これこそが、僕の自身の人生にとって偉大な幸福をもたらしてくれると信じているわけです。 ここに何かの言葉を書くということも、まさに何も生み出していないかもしれないひとつの例になるかもしれません。誰も見ないかもしれないし、書いている自分ですら見返す事は無いかもしれません。それは、まるで引き出しの中にしまわれて、忘れられて、中身も見ずに捨てられるノートみたいなものです。でも書いているという行為は、考え続けるという事と同じく、それが結果的に用をなす事が無かったとしても、今これを書いている事をいかに楽しむ事ができるのか、そして書いた事で次ぎに起きる何かをいかに楽しむ事ができるのか、ということにおいては重要なことに他ならないのです。それが僕の人生にもたらしてくれる喜びであるという事に、どこにも疑いを挟む余地はないのです。ここにはすべてがつまっています。僕の見た日常が書かれ、僕の見ていない日常が描かれ、そして僕のかく事のできない、描く事のできない、すべてのものがかかれています。僕のかききった世界、そこはもしかするとなにもない荒野に見えるかもしれません。でも、そこは何億キロメートルも離れた星々に支えられ、微妙なバランスを保ちながら、様々なものを支えている大地だったりもするのです。

2010年3月6日土曜日

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自分の事は、周りにちゃんと伝えていかなくちゃ。その言葉を獲得していかなくちゃ。その心を獲得していかなくちゃ。


生きている事とか、自分の生きている環境とかの意味を悶々粛々と考え続けたり、そのために何かをつくったりしているわけですが、きっとこのまま答えの出ないまま僕は、死んでいくと思うのです。大切なのは、答えを求める事ではなくて、この結論を生み出さないはずの作業が、いかに喜びにあふれているかを感じられるかが、人生にとって偉大な幸福をもたらしてくれると僕は信じている訳です。
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今、自由が丘の喫茶店でこれを書いている。ネットがつながらないからアップロードするのは今日の夜の事だろうと思う。ここから見る景色は、どこで見る景色とも同じ。自分の知らない人が行き交っていて、誰かは誰かと手をつなぎ、誰かはひとりで歩いている。そんな日常の光景を見ながら、自分自身の足りない部分を補おうとパソコンの前に向かって、プログラムのコードを書いている。それはそれで、とても充実している事なのだけれども、最近はめっきりそればかりだ。何を覚えてみても、何をつくってみても、何かが進んでいる感じがしない。こう感じる事は、自分をのばすためにも必要な事の一つであるということは、分かりきっているけれども、それによって頑張る気力というものは持続する訳ではない。こういうのは、何かを生み出し続けているときに感じればいいのだ。それならば今までのルーティーンから抜け出して新しいものへと身を乗り出していくための推進剤にもなりうる。

今日は抜け出せない日。
そんな日だった、明日はどんな日になるだろう。

2010年3月3日水曜日

もう4日

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もう4日間くらい書いてない。
一昨日AVATORを見に行ってきました。3Dメガネを使ってみる映像はものすごい迫力でした。前評判で、けっこうジブリだ。なんていう評判が立っていたので、結構斜に構えてみてしまった事は否めないんですが、内容そのものよりも3Dの初体験の衝撃の方が強すぎて、そんなことどうでもよくなりました。それを別個に離してみれば(3Dじゃなければ)それほど感動的な話ではなかったような気がします。ただ、迫力のあるシーンでは、思わず自分の足の筋肉がキュッとしまるような感覚に教われました。これぞ映像の力。表現の力。映画の力。
この感動、というよりは情動を体の外側から叩き込まれる感覚。3Dになれてしまえば・・・・なんて言ってしまったらつまらない、この初体験があってこその映像の力。映画の力。素晴らしい体験。素晴らしい映画だったと思います。ともかく映画館で見るのがおすすめ。大画面、サラウンド、3Dそして、内容。すべてがそろった上でのAVATORという映画だと思いました。
うーん。映画館がファーストデーで得したぞ!!!って思えるぐらいの映画ですよ。一度映画館に足を運んでみたほうがいいと思います。
ちなみに最後のところで日本人を二人確認しました。ひとりはシェーダーライターでしたよ。日本人、やっぱりいるんだな〜。なんてね。