「組織に酔う」日本人の話題をちらっと見たので。
「組織に酔う」というと、いきなりのマイナスイメージになってしまうんですが、これと同じようなことを、旅行中にフランスの建築大学の先生から聞いたので、ちょっとだけコメント。
日本の建築を設計を学ぶ場合は、パリの建築を設計を学ぶ時と根本的に学ぶべきことが違う、ということを言っていました。
そもそもパリの建築の場合は、ある(既に法律で厳しく)決まった建築方式を採用しならない。つまりそれにそって、建築の作り方を教える。今の日本の建築物を見ても、一つ一つがとても個性的(てんでバラバラ)で、でもその一つひとつはそれぞれの組織つまり会社やコミュニティーに依存されて設計されている。つまり、設計の方法として最初の段階で考慮しなければいけないのは、コミュニティやその内部でのコミュニケーションのあり方である。ということなんだそうです。
僕自身は建築を学んでいた訳ではないので、想像に過ぎないのですが、日本人のコミュニティやコミュニケーションのあり方が今の東京の都市の様相を決定してきた、と思っている訳です。
ただ、東京の都市を見ていると、コミュニティー間のコミュニケーションがしっかりしているとは思えないんですね。ある特徴的な建築物のに応じてある特徴的な人たちが集まってきている。つまりコミュニティーがハードな部分に影響を与えて、そうやってつくられたハードな部分がコミュニティーやコミュニケーションに影響を及ぼしていると思うんです。コミュニティーが過剰に分化され、それぞれの間ではコミュニケーションが活発でない(ようにみえる)。
組織化されたコミュニティーに自分を組み込んで苦しんで、それを正当化させようとするために「組織に酔ってしまう」のではなく、組織のなかに取り込まれた新たな人を含めて組織を再編し、ハードな部分をある程度柔軟に変化させていくこと、それが日本人にとっては幸せなんじゃないかなぁ、なんて思いました。その組織を好きになればいい。
要するに組織に依存するのは、何も問題ないと思うんだけど、その場合は都度組織は最適化されないとダメだよね、ってことをちゃんと考えないといけないんじゃないかなとおもうわけです。その上で人材の流動性を考えろ、とかいわれちゃったらどうしようもないですけどね。別の方向を目指さないと。
2010年4月20日火曜日
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