宮坂 宥勝 著
を読みました。一言の感想から言うと
密教はおもしろい。
と思わせるような本でした。宗教的な教えを説きそのすばらしさを伝えるという内容ではなく、空海の世界観、思想観から生まれた広大な哲学的な背景と、その構造の解説というのが主な内容でした。
密教はおもしろい。
ここでいう「おもしろい」という感想を得たのには大まかに言うと二つの理由がありました。ひとつは、その広大で奥深い思想的背景、そしてもう一つはそこから生まれる美しき日本語文化についてです。
本著の前半では、空海の生い立ちからその思想全般について、中盤以降からは、空海の主著のひとつである『十住心論』(じゅうじゅうしんろん)、正確には『秘密曼陀羅十住心論』から読み解く、空海の思想観、世界観についての解説という内容でした。ここで展開されている「十住心」とは、人間の心について十の項にまとめ示したものであると空海はいっているそうです(p54)
その中でも、特に第七住心、第八住心、第九住心については非常に興味深いところでした。
本来ならば、一つ一つ流れの中で、説明していくのが筋であり、しかも密教の本質は第十心にあるとのことであるそうなのですが、今回はそこについては特に触れず、覚え書き程度に特に印象に残った第七住心について書き留めておく事にします。
第七住心
一切は空なりという空の哲学を通して、自らの心の永遠性を認識する。(p242)
存在するもの(色)は空に他ならないから、もろもろの存在をたてるものの、それはそのまま、さながらにして空である。空は存在するものにほかならないから、存在の諸相を否定するものの、それはとりもなおさずに存在として実在する。だから存在するものは空であり、空はそのまま存在するものである。諸々の現象している存在もまた同様であるから、そのようでないものは何者も無い。(p178)
これはそもそも、仏教の概念で、般若心経の中で『色即是空』というフレーズで語られているものだそうです。聞いた事はありました。空海の説明の中でも「色すなはち是れ空、空すなわち是れ色なり」ということばとして第七住心の説明の導入部分で使われているそうです。浅はかながら、乱暴に要約すると、存在しているもの(色)、そしてそれはつまり、すべて姿なきもの(空)であってそこに特別なものは無い。逆もまたしかりである、という事なんだろうと思いました。(間違いがあるようならご指摘を。)これは存在自体を否定する事によって、すべてのものを人間の人間としての価値観から解き放つという考え方に基づいているように思えました。
西洋的な哲学の中では、人間は動物とは違って特別な存在であるという価値観が大きく根付いている(先日読んだハンナアーレントの人間の条件)ような印象を常々うけ、それを前提に世界観を展開しているように感じてそれ自体あまり好きではないので、個人的にこういった人間世界の考え方はとても好きなのです。
また、この”色”や”空”という言葉についての感覚も、この「色即是空」の解釈によってだいぶ変わってくると思いました。
たとえば「いろはカルタ」でおなじみ涅槃経のいろはうたの出だしです。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
”いろ”はにおへど、というのもの「色」に「存在しているすべてのもの」という意味があるということを考えると、その言葉に含まれる印象が一気に広がりを見せてくれます。ネット軽く調べると「いろはにおへど」で、”美しい人”、”美しい花”と解釈しているものを見かけましたが、それも間違いというのではなく、そういった詩的意味合いから、「存在しているすべてのもの」と展開させる事で、一気に哲学的な語りへと誘ってくれるような感覚をうけました。ここに日本文化の神髄が....といってしまうと大げさかもしれませんが、どこか大きな流れに通ずるところは少なからずあるのではないかというのが素直な感想です。
さとりを開きたい訳でも、誰かにすがって救われたいとも思いませんが、こういう意味で仏教を学ぶのも面白いと思うのでした。
ちなみに、読み進めていくともっと現象学的なものだったり、興味深い思想観がちりばめられています。難しことは書いていないので、興味があればご一読を。
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