ロバート・P・クリース (著), 吉田 三知世 (翻訳)
これを高校の時に読んでいれば.....という内容でした。おもしろくて4日で読んでしまいました。
科学の解説本で、公式や等式の説明も多く含んでいましたが、それを発見する科学者の喜びと、そこまでにある多大なる葛藤を描いたショートショートのような内容でした。脚色されている部分はある程度はあると思うのですがノンフィクションです。
ファインマンさんの言う通り、科学を知るということは、冷たく形のはっきりしたものを求める冷徹なものではなく、その先にあるまだ見ぬ世界、決まり得ぬ世界の深淵の神秘さに魅せられたとても詩的な欲求をはらんでいると言うことをとても生き生きと感じさせてくれる本でした。
個人的にはオイラーの等式のところが面白く、テイラー展開や三角関数などを用いて解けるため、ちょうど高校卒業したぐらいで、マジメに受験勉強をしたひとなら理解できるだろう内容でした。自分のリーチに一番近かったということもあげられると思いますが、そういう意味で高校卒業前に読んでいたならば、もしかしたら数学や物理にもっと魅せられた今を送っていたのかもしれません。
上記内容に関して、せっかくなので「困ります、ファインマンさん」からの引用を転載します
僕の友達に絵描きがいて、これがときたまどうも僕の承服しかねるような考え方を主張する。 たとえば彼は一輪の花をとりあげて、「ほら見ろよ。 実にきれいだろう?」 と言う。 これには僕もまったく賛成だ。 ところが彼は続けて 「僕は絵描きだからこの花の美しさがわかるが、科学者の君ときた日にゃ、まず第一にこれをバラバラにしてみようとしたりするから、せっかくの花もてんで味気ないものになっちまうんだ」 と言ったりする。 これはいささかとんちんかんな言い分だと思う。 そりゃあこっちは芸術家の彼ほど美的に洗練されてはいないかもしれないが、彼が見ているその美しさというものは、僕を含めたあらゆる人間に通用するもののはずだし、僕にだって花の美しさはよくわかる。 しかも同時に、この花について彼が見ているものよりずっとたくさんのすばらしいものが、僕にはちゃんと見えるんだ。 花の中の細胞を僕は想像できる。 それもまたある美しさを持っているのだ。 僕はここでたった1cm四方などという限られた次元の美しさだけを言っているのではない。 もっと微小な次元にも美しさというものがあるのだ。 そういった次元には、細胞のこみ入った活動やさまざまな過程がちゃんと存在している。 そもそも花の色合にせよ、昆虫をおびきよせて受粉するようにしむけるために次第に進化したもので、つまり昆虫たちに色というものがちゃんとわかるということだから、これだって実に面白い。
そう見てくるとまったくさまざまな謎が生まれてくる。 たとえば単純な生きものにも僕らみたいな美的感覚というものがあるのだろうか? 科学の知識はこういった実に面白い疑問を通して、花の神秘さや、胸のときめくようなすばらしさ、そしてこの美しさへの畏敬の念といったものをいよいよ大きくするものなのだ。 科学は花の美しさにますます意味を与えこそすれ、これを半減してしまうなどとは僕にはとても信じられない。
「困りますファインマンさん」(p68)
R.P.ファインマン / 大貫晶子[訳] 岩波現代文庫
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