「現代化学史」という本を読んでいて、化学の面白さを改めて感じている。数年前に読んだ「知覚の中の行為」人間の知覚と行為とかの関係性に興味を持って、メルロポンティやユクスキュルの環世界の話に興味を持ったりしてた。その流れで、人間工学だったり、神経工学だったりを学び始めて、生化学の知識も必要だろうと思って勉強したもののなかなか進まなくって、そんなとき手に取った本がこの「現代化学史」だった。
こう人類が化学を学んでいった過程が、自分が高校時代に化学を学んだ過程と全然違って、それが面白いし、化学の発展に貢献した人にはいろいろな背景をもっている人がいるのに関心しきりだ。
いろいろな事が絡み合って自分たちの生活やその身の回りのことが支えられていて、その一つ一つを丁寧に学んで行くことはとても楽しい。何かのためではない、ただ新しいことを知ることの楽しさに触れていられることは、多分とても幸せなことなんだろうと思う。
2014年8月28日木曜日
2014年8月25日月曜日
【日記】2014.08.25
昨日の夜は、フランスに旅行をしたことを思い出しながら、Les Champs- Élyséesの歌詞を読んでいた。一人でシャンゼリゼ通りを凱旋門に向かって歩いていたとき、おそらく旅行者であろう小太りのおじさんが陽気な声でLes Champs- Élyséesのサビを口ずさんでいた。歌に出てくる単語をGoogle翻訳で少しずつ調べながら自分なりに翻訳していった。当時フランス語が全くわからなかった自分に向かって、案内をしてくれた日本語を喋れるフランスの人は、次くる時は女性に愛を語るくらいはできるようにしておきなさいな、と言っていたのを思い出した。
今日はどんな音楽を聴けば良いのかわからないので、静かに眠れそうな音楽を聴きながら文章を書いている。自分にとって、文章を書くということは一つの癒しだ。なにか仰々しい言葉を考えてることで、せつない気持ちや、悲しい気持ちを忘れようとするからかもしれない。文字で全てを綴ることは出来ないけれど、自分だけはもしかしたら納得させることは出きるのではないかと願いをこめる。だからついつい強い言葉を書いてみるのだけれど、ある人の言葉を聴いてそれも必要ないということを知った。
口べたなのを言い訳にして、結局言えずじまいになるだろう言葉を考えたりする。美しい言葉や、巧い言葉はたくさんうかべることができても、それを言う自分の及ばなさに引け目を感じてしまう。それが誰かに愛を語る言葉であれ、誰かを心を慰める言葉であれだ。言葉を発しなくても伝わればどれだけ楽かわからない、でもそれは言葉というものをわかったような気になっているだけな気がするのだ。
でも、たとえそうだったとしても、口べたなのを言い訳にしながらでも、せめて自分のふるまいだけでも、素直な気持ちでいたいのかもしれない。
2014年8月12日火曜日
2014年8月10日日曜日
2014.08.10
最近のれんを買った。ガスコンロが壊れて、大家さんやガスの修理屋さんが部屋に入る時に、少しだけ生活するスペースが見えにくくなれば良いと思った。もちろん片付けはしているけど、少しごちゃごちゃしているし、恥ずかしい気がしなくもない。のれんで生活するスペースとキッチンを分けたら、部屋がすっきりしたような気がする。こういう道具や、部屋の使い方によって起こる変化みたいなのはちゃんとメモをつけておいたほうが良いと思った。
あと、ガスコンロが壊れて一週間料理をしなかった。思えば一人暮らしを始めて一週間いっさい料理をしないと言うのは初めてだったかもしれない。当然、他のことに使う時間は増えた(他の理由にも起因するものだけど)という変化もあるけれど、驚いたのは部屋が思った以上に汚くなりにくいということだった。
あと、ガスコンロが壊れて一週間料理をしなかった。思えば一人暮らしを始めて一週間いっさい料理をしないと言うのは初めてだったかもしれない。当然、他のことに使う時間は増えた(他の理由にも起因するものだけど)という変化もあるけれど、驚いたのは部屋が思った以上に汚くなりにくいということだった。
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