先週末、人物撮影をしに撮影会に参加してきた。
撮影会で撮影させていただいた写真は、結局公開できなかった。友人を撮影するのではなく撮影会に参加するのは公開をするという前提があるからで、仕方がない事情があったとはいえ、(一般的な撮影会の金額としてではなく、自分の金銭感覚的に)安いとは言えない金額を使っているだけに、自分の中ではなかなかにショックなことだったので、反省も含めてちゃんと書いておこうと思う。
自分が人物を撮る時の自分の心持ちは、スナップを撮る時のそれと同じだと思っている。スナップの場合は街中を歩いていたり、そこで見つけたものをみながら、「これだ」「いまだ」と思った瞬間にシャッターを切る。撮る対象は様々だ。人々の様子や、人工物(信号機や電柱などもふくめて)、動物、街の様子。電柱は動かないし、どれも同じように見えるかもしれないけれど、光の当たり方、周りにあるものとの配置、その時の自分の心境。とにかく、そこにあるその瞬間と向き合った自分がいて、初めてシャッターを切る。人物の場合もそれと同じだ。撮るからには、その人が「自分は素敵だ」と思って欲しいと思って撮るのは前提としているけれど、そこにある「その人」と向き合い、「いまだ」と思った瞬間に写真を撮る。写真は2次元の画像の出力ではなくて、時間軸も含めた四次元的なものだと思っている。
今回は、撮影後アプリを使って修正していいかと聞かれたのだった。個人的には「肌の修正」に関してはそれほど否定的ではない(光と化粧でなんとかなる場合が多いからだ)。でも、今回はそうではなかった。修正して欲しいと提示された内容を見る限り、その写した瞬間に感じたものは失われてしまうと感じたため、今回は公開するのを断念した。硬く表現をすれば肖像権ということになるが、被写体の方の意志も尊重をするべきだとは思っている。当然自分の意図しないものが自分の写真として出てしまうのは不本意なので、被写体の方にも修正を入れて公開等はしないようにとお願いをした。(※1)
仕事として収入がある場合や記録として依頼があった場合は、写真を撮る目的が全く異なるため全く違った形になるのだけど、あくまで趣味の活動でやっている場合は自分を大切にしたいと思う。
今回は反省したので、次回からは事前に確認をするのをちゃんとしたいと思う。コスト的にも少しハードルは高いけれど、今後もいろいろなものや人を撮影していきたい。
※1. 自分は CC BY-NC-ND 4.0 で公開するように事前に決めてプロフィールに書くようにしているため、上記で書いたパターンを除いた趣味の範囲ではそのポリシー内で行うようにしている。
※帰り道で撮影したスナップ