自分の写真は表現ではない。といつも心の中で思っている。作品というよりは記録で、日記に近いものだ。日記とは伝える対象のいないもの、もしくは未来の自分に向けての表現である。伝える相手がいるものでなければ、本来ならば美しい必要はないはずだ。それを誰かが見るかもしれないからと体裁を整える。それがサーバーに画像をアップロードする一つの理由なのかもしれない。
最近は自分のプロフィールにこのように書くようにしている。
Recording the life of the people, the life of the city, and the personality in Tokyo.
記録と書いているのは結構大事なことだ。記録をするということは見る主体がいるということだ。時に恣意的で、偏見を持ち、それでもなお常に客観的に見ようとする態度が存在している。それが記録にとって大切なことだ。ただ、必ずそこにあるものがアウトプットされる。作り出すということはしないのだ。
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