2026年6月29日月曜日

【日記】2026.06.29

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 最近の振り返り。


撮影がうまくいかないことが少しずつ増えたりしてきた。一つ一つにかける時間が少なくなったり、レタッチに時間がかかってしまったり。

人に声をかけてもらって始めることが増えたのか、自分にモチベーションが低いケースも増えてきてしまった気がする。でも、これは関わってくれる人にも失礼だなと思った。

内容によってはいいのかもしれないけれど、ちゃんと自分のモチベーションが起こらない場合はきちんとお断りしていこうと思う。

昔はとにかく撮影しよう。という思いが強かったけれど、ちゃんと自分がアガる撮影をきちんと組んでいきたい。

2025年3月10日月曜日

【日記】2025.03.10

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 最近怒りや悩ましさによって、少し棘のある発言とかをしてしまうことがあってひどく反省している。

自分に降りかかった嫌なことや、悲しいことはポジティブに消化していけるようになりたい。

2024年7月10日水曜日

【ぼやき】カメラマンなら黒い服なのか

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Threadsで、「カメラマンなら黒い服だ」というのが流れてきた。

 フォトグラファーかカメラマンか、みたいな話はともかく、カメラマンと言われて思い浮かぶのは、プレスのカメラマン、式場カメラマン、学校のカメラマン、スポーツカメラマン、ライブカメラマン、広告カメラマン、雑誌のスナップを撮る人。写真館の人、ニッチなとこだと戦場カメラマンとか。

アマチュアで写真撮っているおっさんでも、カメラマンの業態やクライアントが多種多様であることはわかるし、それぞれがそれぞれに適した服装を着ていると言うのは想像できる。スポーツ撮っている人なんて撮影距離から考えればそもそも写り込まない。ちょっと検索すればゼッケンを着ている人がたくさん出てくる。ゼッケンは黒くないし、ゼッケンをつける理由も想像できる。広告を撮っている人は、カメラマンの個性は無関係だから、映り込みは嫌うだろう。ただ、カメラマンが超有名で、その人がとっていることが広告の価値として付加価値があるのならばそうでないかもしれない。技術者にとって現場で何が必要とされているかを理解し、それを言葉でコンセンサスが取れるかと言うことはとても重要なはず。`カメラマンなら黒い服だ` と言うことと、 `写り込みが許されない現場では服が黒であることの優先度が高い` と言うのはコミュニケーション上で全く違うことだと思う。プロっぽい人でも割とこの辺を雑に表現する人が目に入るのはちょっと不思議だなぁと思って見てる。

2024年1月7日日曜日

【日記】2024.01.06

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 新年明けました。

この日記もだいぶ更新が止まっていますが、相変わらず文章は書くようにしています。(最近は主にnote)

昨年から今年にかけて色々と変化がありそうなので、ちゃんと書き留めておきたい。

転職

昨年11月の末、勤めていた会社の退職を決めた。特に次が決まっていたわけではなかったけれど、「今だ」と思うタイミングだった。一応辞める理由はあるのだけど、h比較的円満な形ではあるので、あまりストレスフルじゃない状態で退職したのはとても良かったと思う。

退職を決めたその時から、転職活動を開始することにした。2社の入社試験を受けていたのだけれど、そのうちの一社から内定をいただくことができたので、結果的に良かったと思う。2月からそこで働く予定。

転居

まだ、決まったわけではないが、審査が決まれば転居する予定。12年暮らした場所から離れるのは少し寂しいが、部屋を広くしたり、仕事をしやすい環境にしたいと思っている。北千住に転居したいと周りに吹聴していたけれど、山手線の西側の方になりそう。

写真

活動は続けているけれど、最近は転職活動のこともあって少し落ち着いてできなかったと思う。久々に色々と落ち着いて写真に取り組んだりできそうな気がしている。
何ヶ月前かに、「写真でパリに行く」と飲み屋で根拠のない豪語をしたので、3年後に写真でパリに行ったら褒めてもらいたい。
今はまだ、撮らせていただいていいる写真だなと思う。もっと頑張って行きたい。ファッションもちゃんと勉強したい。

健康

年齢も年齢だし、そろそろガッツリ健康に気をつけて行きたい。

2023年7月12日水曜日

【日記】2023.07.12

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 週末は渋谷ズンチャカ!だった。そして、ズンチャカ!から返った夜にコロナを発症して、今病床に附している。

ズンチャカ!に関しては思うことがたくさんある。コロナに関しては特に思うことはとくにない。遂になったか、そんな感じ。まだちょっとしんどいので、ひとまず記録のみ。

【9日】
ズンチャカ!から終電で帰宅後。なかなか寝付けず体が熱っている。

【10日】

朝起きたら体が熱っている。一切汗をかかずに熱中症だと思っていたので、体を冷やすために、氷枕や水風呂などを試してみるも、38.6度の熱が昼までに39.0まで上がったため、病院へ行くことに。この時までは熱中症だと思っており、その対処法を知りたかった。熱が高いだけで、風邪の症状のようなだるさとかは特になかった。

唇の渇きがないとのことから、熱中症ではないだろうとのこと。インフルエンザとコロナの検査をして、コロナであるだろうという診断になった。薬(解熱剤)を処方され、服薬して寝ると一旦は熱が収まるものの夜再び39度近くまで上がる。

体調不良による辛さというよりは、シンプルに熱でふらついているという感覚だった。

【11日】

朝起きたら熱がだいぶ引いていた。37.5度程度。その代わり昨日はなかった気怠さと喉の痛みがドッと襲ってくる。親からの電話が何度かくるものの、長い時間話しているとドッと疲れが出るような状態だったため、それを伝えてすぐに電話を切りあげてもらうことにした。

【12日】

昨日とほぼ同様の症状が続いている。回復するかと思ったがあまり変化はなく、ほとんどベッドから動けない状態だった。仕事のメッセージが来たので、少しだけ対応したが、それ以外はずっと眠っていた。


2023年5月30日火曜日

【日記】写真を仕事に

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 写真を仕事にしたい。そう思うことはあるけれど、安易にまだ仕事にできないなって思う。自分の写真で本当に人に喜んでもらえるようになりたい。

自分の表現がしたいから続けている写真。それにきちんとお金を払ってもらえるようになった時、そしてそれを喜んでもらえるようになった時が、それがその時なんだろうと思う。40ぐらいまでを目標にして形にしていきたい。


2023年5月22日月曜日

【日記】ぽんこつ

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自分はひどくポンコツな人間である。

すぐ物をなくすし、部屋の掃除もうっかりしている、洗濯物もためてしまうことも多い。予定を忘れてしまいそうで慌てている。ダイエットもろくすっぽ続かない。おまけに人見知りな上に、他人にあまり関心がない。ロクでもない人間な気がする。今日も体調を崩してしまった。

そして、そんな自分を改めて感じることで、やるせない気持ちになったりする。それはポンコツである人間を他人に認めてもらいたい、ポンコツだからという開き直りをしたい、ということではないからだ。

改めて自分のことを振り返ると、ここまでちゃんと生きてこれているのが不思議なくらいである。

写真もズンチャカ!もいろいろやっているが、いろいろやりすぎていると思う。そのせいか心も窮屈になっていて苦しい。辞めることで孤独になってしまうことへの怖さもある。今抱えているものが落ち着いたら、いろいろと整理して自分の生き方をできるだけシンプルにしたい。

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 先日撮った写真。衣装の方のお誘いでメイクについて教えてもらうワークショップに参加した。皆さんとても素晴らしい方で、とてもいい写真が撮れたと思う。その中でも現像が気に入っている写真。「そこにいる」「生きている」っていう感じがするきがして。

2023年4月24日月曜日

ストリートフォトの肖像権の話。

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ストリートフォトでの肖像権って話題になることは多いのだけど、意外と自分自身の基準を明文化している人ってそんなに多くないイメージがあったので、備忘録的に現在の自分の基準を書いておこうと思う。

人を写さなくも街の外形(ハード)は撮影できるけれども、人が写っていない写真は街を撮っているとは言えないと思っている。中野正貴さんの「TOKYO NOBODY」で映された東京が異様な風景に見えるのも、「今際の国のアリス」の誰もいない渋谷が表現として成り立つのも、「街には人がいるものだ」という前提があるからだと思う。

記録的な価値を写真に求めるのならばよりいっそう、人が写っていない街は「街を」とるとは言えないと思う。なので、少なからず「街を撮る」という文脈で写真を撮るのならば、「人を撮る」ということがセットになる。「街を撮る」ということの詳細な意味に関して言えば、ジェインジェイコブズの都市論だったり、ルイオールデンバーグの「場」の話だったり、いろいろな文脈で語れるだろうと思う。例を出して言及を始めればキリがないので、今回はその話はしない。

街で人を撮るスナップ写真には、声をかけて撮影する方法とそうでない写真(いわゆるcandid photographyとよばれるもの)があるが、これは全く別の性質を持つ写真である。声をかけるのであれば、少なくとも、その写真に内在する「記録性」というものは損なわれる。また、個人にフォーカスを当てているものであればそれでいいかもしれないが、人々の郡や集合を撮影する場合は画角にいる全ての人に声をかけた上で、その人の状態を保ったままにするのは明らかに現実的ではない。そういうわけで、かならず「声をかければいい」という結論に至るのも些か乱暴だと思う。


とは言え、「人」をうつす前提として「街」を撮ろうとしたときに、肖像権やプライバシーに関わる問題についてはきちんと考えていなければいけないし、安易に人が写りこんでいる写真を全て「盗撮」と言ってしまうのはあまりにも乱暴だと思うからこそ、きっちりと他人に説明できないといけないと思っている。

■ パブリックなスペース(公道/公園等含む)の場合

  • 特定の被写体にフォーカスを当てる場合は、正面からの写真(顔が映ること)を避ける
  • 特定の被写体にフォーカスを当てる場合は、できるだけネガティブな文脈での写真を避ける
  • 写真の主題になっておらず、かつ、明らかな映り込みの場合は問題ないとする
  • 正面で写っている場合も特定の人物にフォーカスが当たっておらず、人の群として写っている場合は問題ないとする(信号で待っている人々等、その写真の主題がそこにいる特定の個人に依存していない場合)
  • 公共の場でのパフォーマンスの場合は、それを明確に「見せるための活動」としているため、問題ないとする
  • パフォーマンスでの活動の場合でも政治活動や、デモ等、思想、心情をもとにした活動の場合は、批判・賛同等の意味づけをできるだけ避けるように写真の主題を置き、キャプション等でもできるだけそのようなことを避ける。 

■ 参考

2023年1月7日土曜日

2023.01.07

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今日はロケハンも兼ねた散歩日

明大前で電車を降りて、下高井戸、桜上水、浜田山を経由して、高井戸まで。渋谷へ移動し帰宅した。知らない道を歩くのが好きだ。今日は大体の方角を決めて地図を見ずに歩くことにした。

普段なら音楽を聴きながら散歩をするけれど、Blutoothの受信端末の充電がなくなってしまったので、イヤホンを外して歩いていた。鳥の囀る音、水の流れる音、野球の掛け声、いろいろな音が聞こえてくる。街には何もないようで、いろんなものがある。木に注目するだけでも面白い。道の幅に興味を持ってみたりもする。街灯を観察して街の終端を知る。おかれた植木鉢をみながらそこに住む人を空想する。

とてもじゃないけど、写真映えがしない。写真映えがしないのが日常で、それを自分は撮っている。


2023年1月4日水曜日

【日記】2023.01.04

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 新年明けました。

昨年はあまり日記をつけなかったので、今年はできるだけつけていきたいなと思います。ここ10年は模索の10年でした。自分が続けられること、それを探していた10年だったと思う。

写真という自分にとっての着地点を見つけられたのはとても良かったと思う。自分の歳では遅すぎる気もするけれど、でも結局見つけられない人もたくさんいると思うので、とても素晴らしいことだとも思う。

たくさんのことをやってきたからこそ、いろんなことがフラグメント化して無駄なこともたくさんあったと思う。無駄なことは決して悪いことではないけれど、これからは整理して、断片化した無駄な時間や体力、お金とかをまとめて使うことができるようにしたいと思う。

今は生きるのに必要な要素がまだ足りていない状況で体力、お金。その他諸々、今後はきちんと意識して生きていこうと思う。


2022年10月5日水曜日

【日記】2022.10.05

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最近は部屋の状態、朝起きる時間、自分の体型も含めて、きちんと正しい生き方ができていない気がしている。「正しい生き方」そんなものは存在していない。あなたが生きたそれが正しいというなら、それはそうなのかもしれない。

ただ、社会的な人間としてきちんと生きている方であると言う自信がない。生きると言うことはいろんなことに連動していて、そういうのが体型に現れている。もちろん必ずしもそう言う人ばかりと言う誇大な表現をするつもりはない、詰まるところ自分自身はそうなのだ。「丁寧に生きる」と言いすぎて極端に走ろうとしているとかそう言うことでなく、最低限の丁寧さをもつ、と言うことに対してちゃんとできていないと思うのだ。だからこそ「社会の中にいる自分」にいつまで経っても自信がない。

2022年10月4日火曜日

【日記】2022.10.04

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 いろいろあって今とても不安定な状態だ。来月には仕事がないかもしれない。言えることと言えば、どうなるかが分からないと言う曖昧なことだけだ。とはいえ誰かに責任があるわけでもなく、現状を自分の力でどうすることもできない。と言うことで、そういうどうにもできない現状に関与の薄いところで自分のことを粛々とやっていくしかないと言う状況だ。

普通なら絶望するようなことかもしれないが、案外絶望はしていない。そう言うものだと思っていたし諦めがある。そこそこ長く働いているから保険が下りるかもしれない、積み上げてきたものも含めて絶望するほどのことではないと言う自己認識がある。あと、自分に今できることは、あまり多くないのでそれをやるしかない。かといって不安はあるし、ストレスもある。

そう言う時は自愛をしながら進んでいくと良いんだろうなと思う。

2022年9月18日日曜日

【日記】表現か記録か

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自分の写真は表現ではない。といつも心の中で思っている。作品というよりは記録で、日記に近いものだ。日記とは伝える対象のいないもの、もしくは未来の自分に向けての表現である。伝える相手がいるものでなければ、本来ならば美しい必要はないはずだ。それを誰かが見るかもしれないからと体裁を整える。それがサーバーに画像をアップロードする一つの理由なのかもしれない。

最近は自分のプロフィールにこのように書くようにしている。

Recording the life of the people, the life of the city, and the personality in Tokyo.

記録と書いているのは結構大事なことだ。記録をするということは見る主体がいるということだ。時に恣意的で、偏見を持ち、それでもなお常に客観的に見ようとする態度が存在している。それが記録にとって大切なことだ。ただ、必ずそこにあるものがアウトプットされる。作り出すということはしないのだ。


2022年8月14日日曜日

【考察】私が撮りたかった女優展vol4をみて感じたこと

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私が撮りたかった女優展vol4を観に行ってきた。撮影したフォトグラファーのトークセッションもその日の夜に行われていたのでそれも一緒に聞いた。

個人的に印象に残ったのはMiss Beanさんが三吉彩花を撮った写真だった。まず「女優」というコンテキストを咀嚼して、それを通して自身の感じていることや表現したいことを、被写体を通して伝えようとしいる。伝えたいことが明確にあり、それに対して写真を構成している。明確に「表現」をすることが行われていたと感じた。

程度の問題かもしれないが、他のフォトグラファーが撮った写真は「女優というコンテキスト」にフォーカスしたというよりは「人物そのもの」にフォーカスしたように見えた。適切な言葉は思いつかないが前者が「構成されたメッセージの表現」だとするならば「構成された現象の記録」というのが近い気がする。

このように感じるのは知覚と表示されたものの距離の問題だと思う。前者はより距離が遠く、後者はより近い。その間に挟まっているのは思考とその整理だと思う。写真の面白いところは構造的に「記録」的なものを内包するから、前者の場合も知覚と直結された表示が行われることだと思う。被写体自体の表現は、ダイレクトに鑑賞者の知覚に届く。

写真は「記録」と「表現」が同居することができるメディアだと感じた。ただ、「記録」は必ずその中に内包され、「表現」は必ずしもその中に内包されるわけではないという面白さがあると思った。


2022年8月1日月曜日

【日記】写真を鑑賞することについて

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最近は色々な展示を見に行くようになった。最近だと、都美術館や近代美術館でやっているような大きなものから、小さなカフェやギャラリーでやっている小さなものまで。 

 自分も写真を撮っている人であるからこそ、撮り手としての「批評的な視点」になりがちだったりする。批評っていうのは必ずしも肯定的な視点ばかりじゃない。批判的と言うわけではないけれど、分析的な視点で見ていった結果、場合によっては受取手にとって否定的な表現に拠った分析になってしまうことがある。 

 作品を鑑賞する際に「自覚的な意図の表現」だけではなく、「無自覚な認識の表象」を観て撮ることがある。この「無自覚な認識の表象」は作品の制作側の意図とは別のところにあるからこそ扱いが難しい。「いや、そんなつもりで作ったわけじゃない」となりがちだったりする。この「無自覚な認識の表象」はときに、鑑賞者を傷つけたりすることがある。

それを読み取ったとき、どう言う気持ちで作品と向き合っていいのかわからなくなる時があある。 

 行き場のない「無自覚な認識の表象」に対する批評をぐっと心に止めなければいけない。なぜなら、一番大事なのは「その人が何を表現したいか」だからだ。でも、本人の意図していない「無自覚な認識の表象」を感じないと表現者として、それに自覚的になれないし、言葉にすることも大事だ。「あぁ、自分は嫌なやつだ。」と感じながらも。だからこそ悩ましい。

 自覚的に「自分が作るものは何か」と言うところに対して、向き合わなければいけないと思う。「無自覚な認識の表象」をできるだけなくし、「自覚的な意図の表現」へ向かう努力をすることだ。もちろん、「無自覚な認識の表象」は無くなることはない。それは、それぞれがそれぞれの人生を生きているから当然のことだと思う。でも、努力をすることはできると思う。 悩みながらも言葉にすることを大事にしたい。

2022年4月17日日曜日

【note】写真について語る

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2年近く真剣に人物写真を撮影してきて、今いろいろと悩んでいる。自分がなぜ人物写真を撮っているのか、それをアウトプットするにはどんな意味があるのか。強く自分の内側から表現したいエッセンスや主張が何かがあるかといえばそういうわけではない、ただ、明確に言葉にはできないなりに何かそこに意味を見出しているというのをどこかで感じている。そして、自分が表現するという活動において、写真でアウトプットするということがしっくりきているということは確かだと思う。 いくら考えていても、そのときその時で変化していくことだと思うから、そのことを考えていても結論はきっとでないと思う。ただ、今どういう思いで写真を撮っているのか、ということについては文章にしておいていいのではないかと思う。そうしていく中で自分の表現したい何かが、言語化していければいい気がしている。 まとめて、いくなかで、「あぁ、自分はこれを撮っていたんだ。」というところが気がつけるようにしていきたい。

2022年1月5日水曜日

【日記】2022.01.05

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 今年の目標は自分に集中することにしたい。

昨年までは、いろんな人の作品を見て回ったりした。表には出さないとしてもインプットとするためには、批評的(批判ではない)な目線は必要だと思っている。当然自分の中の良し悪しがあり、それに対してどうのこうの言いたい気持ちになることもたくさんある。

ただ、それは他人に気を取られているということだ。その場の批評性を引きずるのは、その先何もつながらない。無駄な時間だと思う。だから、批評はその場で終わりにして、自分に集中するように頑張っていきたい。


2021年11月23日火曜日

友達について

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 いつからか友達というものについて考えることが億劫になっている自分に最近気がついた。

友達とは一体何なのか。誰かの定義でいえばきっと自分の友達は少ないんだろう。誰かの定義で言えばもしかしたら自分の友達は多いのかもしれない。自分は友達と思っていたけれど、そうは思われていなかった。そんなことは往々にしてあることだ。

自分は、誰かに友達だと思われていたらその人の友達でありたいと思う。あの人は友達じゃないなんてことは、何というか悲しいことな気がする。まぁ、友達とは何なのかということは置いておくとしてだ。

最近気がついたことといえば、そもそも、友達という言葉で線をくくる必要はないのだ。この人とは飲みに行く。この人とは、スタジオに入ってバンドをする。写真を撮らせてもらった。毎日挨拶をする。そんな、不揃いな関係性が無数にあるだけなのである。


そういえば、自分には親友が一人いる。なぜ親友だと言い切れるかというと、「俺たち親友だよな」という話をしたからだ。べろべろに酔っ払っていた。親友というも実際にところ何だかわからない。でも間違いなく言えるのは、「親友」という関係性が定義された瞬間が、そこにあったということだ。

2021年11月9日火曜日

【日記】2021.11.09

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 自分は人と出会うためにポートレートをとっているんだと思うんです。出会いって恋愛目的だったり、ビジネス目的だったりすると、後を引くというかなんというか、ちょっとだけ面倒だったりすることもあるじゃないですか。でも写真が目的地なら良くも悪くも後腐らない気がするというかなんというか…..気持ちの良いすっきりした出会いになる。そんな気がしています。

デザインとかそういう視点があれば写真はそれなりに整うと思うし、技術的にあれこれするのはそれなりに好きだし、きっと写真が上手くないと会えない人もいるから、上手くなりたいとは思っています。

でも、本質の部分ではどんな写真を撮ったということよりも、誰を撮ったということが大事なんだと思います。これはその人が有名かは全く関係がなくて、自分がかっこいい!素敵だ!と思える人。もちろんジェンダーも年齢も関係ない。

誰かに写真を撮りに会いに行って、「また素敵な人に出会ってしまった」、「この人、素敵でしょ!」それが詰まるところ自分にとっての人物写真なんだろうと思います。


2021年9月9日木曜日

【日記】2021.09.09

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渋谷ズンチャカ!が終わってまだ一週間経っていない。ずっと家の中にいるからなのか、流れる時間と感じる時間がとてもチグハグで、どこか心地が悪い。

 今年の渋谷ズンチャカ!はオンライン開催になった。オンラインになって一つ自分がやりたかった企画は実現できたものの、もう一つの企画はうまくいかなかった。雨でどちらにせよ中止だったとはいえ、最後まで作りきれなかった。今まで毎年欠かさず形にするまできちんとやり切ってきただけにとても悔しい。

アーカイブ映像作りがあるのでもうひと頑張りかな。
 来年はどうしようか。

今年やった企画の続き、ちょっと拡大してやりたいな。
あと、写真をもっともっと頑張りたい。学ぶことはまだまだたくさん。