ユーザビリティとか
何かを伝えようとすることも
今見返すと本当にできていない。
最低限の要素のはずなのに、
「遊び心」って言葉は怖い。
ただ、遊んでるだけになってしまうことが
多々存在してしまう。
まぁ、遊んでいるだけの時はあるけれど
そういうのはまぁ、いいんだけど
やっぱ、へこむな。
でも、やっぱり
ユーザーサイドのものづくりの方が
自己表現のようなことよりもずっと楽しいことはわかってる。
いわゆる自己表現を意識したモノって
後で見返して絶対空しくなるんだよね。
あぁ、こういう事が伝えたくて
本当に伝えたくて
それを伝えるためにしっかりと作り込んだもの
そういったモノに対しての自分の愛着の方が
実ははるかに大きい。
いつまでも伝えたかったことが心に残るし
それが”伝わった!”時の幸せは計り知れない。
3Dだってどうして自分が創っているのか
その先に何があるのかを見つけられなくて
それで、どんどんと進む先を見失ったからやめた。
よく考えたら自分の作ったモノで、
本当につくって良かったって思えるのは4つ。
①七夕祭
②CLG
③豊橋フィールドワークのポスター
④追いコンの映像(七夕)
ぐらいだ。
いま、本当に自分の先にあるモノは何だろう。
そういえば
環境はビジネスにできるから
と言う言葉を聞いた。
個人的に思う。
ビジネスにしちゃ本当はいけないんだって。
生きるという本質がビジネスと入れ替わって
その先にあるモノを見失わせているからだ。
本当に伝えるべき先がそこに存在するべきなのに
実はそういうわけではないからだ。
そうだな
ビジネスにできるんだな。
そういうことにしなくちゃ、世の中動かないって事なんだろうけれど。
それってちょっと嫌だ・・・・
でも
こんな世の中、クソくらえだ。
なんて言わないよ。
むしろこういうんだ。
世の中が、クソじゃなかったことなんかあるか?
だからみんな前に進もうとする。
まぁ、そんなクソっていっても嫌いじゃないんだよね。
捨てたもんじゃないという時もあるけれど
もしかしたらMなのかもしれないね。
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