KJ法という名前の具体的な用法や、その根底にある理論やらは
全くと言っていいほど知らないに等しいといって間違いないけれど
自分の読んでいた本や、ブログに結構登場していたので
今まで、ご存命だったことも知らなかったのに
なんだか複雑な気分だ。
今日出かける時に、
久々にボードリヤールの「象徴交換と死」を持って行った。
この第一部と第二部を読んだ時の衝撃は忘れられない。
一言一言理解しているわけでもないし、原典読みでもないけれど、
机上の哲学者でなければ、それをする必要もない。
語るために知るのではなく、行うために知る。
だから、本質的なことをつかんでいるかどうかはわからないけれど
少なからず今の自分自身に影響を与えている部分だ。
帰り道に、「消費社会の神話と構造」を探して見つけたまでは良かったけれど
財布にお金が入っていなかった。
なんだか複雑な気分だ。
なんか複雑な気分だ。
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