2022年10月5日水曜日

【日記】2022.10.05

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最近は部屋の状態、朝起きる時間、自分の体型も含めて、きちんと正しい生き方ができていない気がしている。「正しい生き方」そんなものは存在していない。あなたが生きたそれが正しいというなら、それはそうなのかもしれない。

ただ、社会的な人間としてきちんと生きている方であると言う自信がない。生きると言うことはいろんなことに連動していて、そういうのが体型に現れている。もちろん必ずしもそう言う人ばかりと言う誇大な表現をするつもりはない、詰まるところ自分自身はそうなのだ。「丁寧に生きる」と言いすぎて極端に走ろうとしているとかそう言うことでなく、最低限の丁寧さをもつ、と言うことに対してちゃんとできていないと思うのだ。だからこそ「社会の中にいる自分」にいつまで経っても自信がない。

2022年10月4日火曜日

【日記】2022.10.04

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 いろいろあって今とても不安定な状態だ。来月には仕事がないかもしれない。言えることと言えば、どうなるかが分からないと言う曖昧なことだけだ。とはいえ誰かに責任があるわけでもなく、現状を自分の力でどうすることもできない。と言うことで、そういうどうにもできない現状に関与の薄いところで自分のことを粛々とやっていくしかないと言う状況だ。

普通なら絶望するようなことかもしれないが、案外絶望はしていない。そう言うものだと思っていたし諦めがある。そこそこ長く働いているから保険が下りるかもしれない、積み上げてきたものも含めて絶望するほどのことではないと言う自己認識がある。あと、自分に今できることは、あまり多くないのでそれをやるしかない。かといって不安はあるし、ストレスもある。

そう言う時は自愛をしながら進んでいくと良いんだろうなと思う。

2022年9月18日日曜日

【日記】表現か記録か

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自分の写真は表現ではない。といつも心の中で思っている。作品というよりは記録で、日記に近いものだ。日記とは伝える対象のいないもの、もしくは未来の自分に向けての表現である。伝える相手がいるものでなければ、本来ならば美しい必要はないはずだ。それを誰かが見るかもしれないからと体裁を整える。それがサーバーに画像をアップロードする一つの理由なのかもしれない。

最近は自分のプロフィールにこのように書くようにしている。

Recording the life of the people, the life of the city, and the personality in Tokyo.

記録と書いているのは結構大事なことだ。記録をするということは見る主体がいるということだ。時に恣意的で、偏見を持ち、それでもなお常に客観的に見ようとする態度が存在している。それが記録にとって大切なことだ。ただ、必ずそこにあるものがアウトプットされる。作り出すということはしないのだ。


2022年8月14日日曜日

【考察】私が撮りたかった女優展vol4をみて感じたこと

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私が撮りたかった女優展vol4を観に行ってきた。撮影したフォトグラファーのトークセッションもその日の夜に行われていたのでそれも一緒に聞いた。

個人的に印象に残ったのはMiss Beanさんが三吉彩花を撮った写真だった。まず「女優」というコンテキストを咀嚼して、それを通して自身の感じていることや表現したいことを、被写体を通して伝えようとしいる。伝えたいことが明確にあり、それに対して写真を構成している。明確に「表現」をすることが行われていたと感じた。

程度の問題かもしれないが、他のフォトグラファーが撮った写真は「女優というコンテキスト」にフォーカスしたというよりは「人物そのもの」にフォーカスしたように見えた。適切な言葉は思いつかないが前者が「構成されたメッセージの表現」だとするならば「構成された現象の記録」というのが近い気がする。

このように感じるのは知覚と表示されたものの距離の問題だと思う。前者はより距離が遠く、後者はより近い。その間に挟まっているのは思考とその整理だと思う。写真の面白いところは構造的に「記録」的なものを内包するから、前者の場合も知覚と直結された表示が行われることだと思う。被写体自体の表現は、ダイレクトに鑑賞者の知覚に届く。

写真は「記録」と「表現」が同居することができるメディアだと感じた。ただ、「記録」は必ずその中に内包され、「表現」は必ずしもその中に内包されるわけではないという面白さがあると思った。


2022年8月1日月曜日

【日記】写真を鑑賞することについて

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最近は色々な展示を見に行くようになった。最近だと、都美術館や近代美術館でやっているような大きなものから、小さなカフェやギャラリーでやっている小さなものまで。 

 自分も写真を撮っている人であるからこそ、撮り手としての「批評的な視点」になりがちだったりする。批評っていうのは必ずしも肯定的な視点ばかりじゃない。批判的と言うわけではないけれど、分析的な視点で見ていった結果、場合によっては受取手にとって否定的な表現に拠った分析になってしまうことがある。 

 作品を鑑賞する際に「自覚的な意図の表現」だけではなく、「無自覚な認識の表象」を観て撮ることがある。この「無自覚な認識の表象」は作品の制作側の意図とは別のところにあるからこそ扱いが難しい。「いや、そんなつもりで作ったわけじゃない」となりがちだったりする。この「無自覚な認識の表象」はときに、鑑賞者を傷つけたりすることがある。

それを読み取ったとき、どう言う気持ちで作品と向き合っていいのかわからなくなる時があある。 

 行き場のない「無自覚な認識の表象」に対する批評をぐっと心に止めなければいけない。なぜなら、一番大事なのは「その人が何を表現したいか」だからだ。でも、本人の意図していない「無自覚な認識の表象」を感じないと表現者として、それに自覚的になれないし、言葉にすることも大事だ。「あぁ、自分は嫌なやつだ。」と感じながらも。だからこそ悩ましい。

 自覚的に「自分が作るものは何か」と言うところに対して、向き合わなければいけないと思う。「無自覚な認識の表象」をできるだけなくし、「自覚的な意図の表現」へ向かう努力をすることだ。もちろん、「無自覚な認識の表象」は無くなることはない。それは、それぞれがそれぞれの人生を生きているから当然のことだと思う。でも、努力をすることはできると思う。 悩みながらも言葉にすることを大事にしたい。

2022年4月17日日曜日

【note】写真について語る

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2年近く真剣に人物写真を撮影してきて、今いろいろと悩んでいる。自分がなぜ人物写真を撮っているのか、それをアウトプットするにはどんな意味があるのか。強く自分の内側から表現したいエッセンスや主張が何かがあるかといえばそういうわけではない、ただ、明確に言葉にはできないなりに何かそこに意味を見出しているというのをどこかで感じている。そして、自分が表現するという活動において、写真でアウトプットするということがしっくりきているということは確かだと思う。 いくら考えていても、そのときその時で変化していくことだと思うから、そのことを考えていても結論はきっとでないと思う。ただ、今どういう思いで写真を撮っているのか、ということについては文章にしておいていいのではないかと思う。そうしていく中で自分の表現したい何かが、言語化していければいい気がしている。 まとめて、いくなかで、「あぁ、自分はこれを撮っていたんだ。」というところが気がつけるようにしていきたい。

2022年1月5日水曜日

【日記】2022.01.05

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 今年の目標は自分に集中することにしたい。

昨年までは、いろんな人の作品を見て回ったりした。表には出さないとしてもインプットとするためには、批評的(批判ではない)な目線は必要だと思っている。当然自分の中の良し悪しがあり、それに対してどうのこうの言いたい気持ちになることもたくさんある。

ただ、それは他人に気を取られているということだ。その場の批評性を引きずるのは、その先何もつながらない。無駄な時間だと思う。だから、批評はその場で終わりにして、自分に集中するように頑張っていきたい。