2010年3月29日月曜日

不気味な共同体意識。

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私はあなたとおなじコミュニティーに属しているから、共同体だよね。これって、日本人が欧州的なサードプレイスを創出しようとするためにはもっとも抵抗力として働くものの一つだと思うんだよね。欧州的のね。
最近は、サードプレイスというと、職場と家庭以外の安らげるゆっくりと自分らしく過ごすことができる場所って言う風に書かれていることが多いみたいだけれど、アメリカの社会学者レイ・オールデンバーグによれば、むしろ外的なアイデンティティにとらわれずフラットなコミュニケーション関係をつくれる場所というように書かれているらしい(これから読む予定なので詳しくはそのあと。)。
まぁ、くつろげると言えばそうなのかもしれないけれど、日本人はコミュニティー依存度が高くて外的なアイデンティティーの中で自己を確立することが多い気がするから、そういった見知らぬ人とのコミュニケーション関係が本当にくつろぎにつながるかということ甚だ疑問。
二つの観点からサードプレイスという言葉を多くの人が使っているために、なんだか分からなくなってしまっているような気がしてならないんですよ。こういう言葉の使い方って危うい。誰か言葉を新しくつくって共通の認識としてとらえればいいのにね。なんて思ってしまいます。日本人用にね。まぁ”居場所”とか言ってよけいぼやかして分からなくなっちゃうのも微妙ですけどね。

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人間は、形式張らない社交の場に集い、仕事や家庭の問題を忘れ、くつろいだ雰囲気で話をしたいという欲求を持っている。ドイツのビアガーデン、イギリスのパブ、フランスのカフェは、日常生活の憩いの場だ。そこはニュートラル・グラウンド(中立地帯)であり、社会的地位はさておき皆が平等に扱われ、会話が主たる活動となる。アメリカでも、かつては居酒屋、床屋、美容院などがそういう場所だった。だが、郊外化の進展とともに、これらの場所は姿を消しはじめ、自己充足的な郊外型住宅に取って代わられた。こうした場所がないため、都市生活の本質であるさまざまな関係や人との多様な接触が欠落することになる。この欠落の故に、人々は群衆の中にあって孤独な状態にとどまっている。

−「スターバックス成功物語」で引用された、“The Great Good Place”−

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